金剛禅とは
金剛禅の教えは、生きている人間が、拳禅一如のたゆまぬ修行を積み、まず真に寄り所とできる自己を確立し、半ばは他人(ひと)の幸せと社会の発展のため役立つ人間になろうというものです。
そして人間どうしの拝み合い(尊重)と援け合い(協力)により、平和で豊かな理想社会を実現するため、積極的に行動・実践していこうと説いています。
天国や極楽はあの世にあるものではなく、この世につくるべきものです。それは神仏がつくるのではなく、人間が協力してつくりださなければならないものなのです。
人間の心の改造と平和的な手段によって、地上天国を実現させようというのが、金剛禅の主張であり、この道を行じる私たちの願いであります。
金剛禅の修行は剛法、柔法といった易筋行にとどまりません。肉体的な修行には休養、食事、排泄まで含まれます。
また、調息、座禅や信仰の確立、問法修学、反省、感謝、持戒といった精神的な修行も金剛禅の修行なのです。
つまり道院で修練している時に限らず、生活の全てが修行です。
「動禅」という言葉がありますが、金剛禅においては「生活そのものが動禅」なのです。
「金剛禅の教えを実社会、日常生活に活かすことが動禅」です。
そのように考えていますので、二人一組で修練している時もそれは単に”技”の修錬にとどまらず、人間関係や日常生活における気付きを得るための修行なのです。
金剛禅の修行は仲間との関係や日常生活、地域との関わり方等が良く変わっていく・・・これが「動禅」です。
金剛禅では、宇宙のすべてに関わり、それを動かす大いなるはたらき・法則を、「ダーマ」と呼び、ダーマを信じることを教えの中心としています。
宇宙は誕生以来、時々刻々と変化し、その変化の中で地球が生まれました。
そして長い時の流れを経て、地球上では、私たち人間を含め多くの生命が生かされています。
一粒の種が、水や土の養分、太陽の光等、様々な影響を受けて芽を出し、やがて花を咲かせるように、私たち人間も自分の中にある可能性を信じて努力すれば、必ず素晴らしい人生を送ることができます。
ダーマを信じるということは、自分の可能性を信じるということであり、私たちはそれを修行することによって学び、身に付けていきます。
金剛禅の信仰の中心は「ダーマ」です。
「ダーマ」は、サンスクリット語(梵語)から来ており、Dharmaと書きます。
通常「ダルマ」などと発音されますが、金剛禅では、禅宗の祖師である達磨大師との混同を防ぐため「ダーマ」と呼びます。
「ダーマ」は「法」とも訳され、法則、真理、全宇宙を統一する力、正義、最高の実在など、つまり、宇宙の“最高の真理”“最高の秩序”を表すものとして、宗教的、道徳的、社会的、倫理的な意味に用いられます。
もとより、ダーマは本来、拝んでご利益を求めるための祭祀や礼拝の対象になるものではありません。